塩尻ワインシティー
造り手のパーソナルストーリー

「アルプス展望しののめのみち、穂高岳を望む丘に小さなワイナリーをオープンしました。自然豊かな土地で大事に育てたぶどうを丹精込めて醸造しています。アルプスの山々の気候がはぐくんだワインはきっと気に入っていただけると思います」(丘の上 幸西ワイナリー・ホームページより)
丘の上 幸西ワイナリーは、塩尻ワイン大学第一期卒業生の幸西義治氏(以下敬称略)が2016年に片丘でブドウ栽培を開始し、2019年に設立した。育てたメルロー、カベルネ・ソーヴィニョン、カベルネ・フラン、シャルドネ、ソーヴィニョン・ブランを自ら醸造し、2020年にリリースした。
「山」と「家族」を感じる、小さな素敵な個人事業のワイナリーである。
日本酒の銘醸地、東広島市
幸西義治は、昭和33年(1958年)、広島県東広島市に生まれた。
「実家は代々続く農家です。稲作も畑作もしていて、裏には山があります。子供の頃、屋根は藁葺でした。なにか紙が挟まっていると見てみたら江戸時代の請求書だった、という思い出もあります」
東広島は、兵庫県の灘、京都府の伏見とともに日本酒の三大銘醸地の一つと称されている。「加茂泉」や「加茂鶴」をはじめとした「西条酒」、吟醸酒のルーツといわれる「安芸津の酒」で有名である。
国税庁の醸造試験所は、1995年に東京都北区滝野川から東広島市に移転し、現在は独立行政法人酒類総合研究所となっている。
幸西自身は、農業を手伝った経験はなく、実家も酒造りとの縁はなかった。
「わたしは三男で、実家は次男の兄が継いでいます。農家ですから、土とのふれあいは生まれたときからありました」
山口からアルプス登山へ
幸西は広島国泰寺高校(旧制広島一中)から山口大学電子工学科に進学した。
「始まったばかりの学科で、電子系はおもしろそうかな、と思いました。農家とは別の世界への憧れがあったかもしれません」
信州・長野とのつながりは、学生時代に始まった。
「大学では勉強せずに、山登りに明け暮れていました。ワンダーフォーゲル部に入り、部員は百人ぐらい。主将も務めました」
「一番記憶に残っている山は、北アルプスの穂高岳。後輩の一人が肺気腫で動けなくなりました。山小屋の板で担架を作って括り付け、一晩かけて部員が交代で担いで、なんとか麓まで下ろしました。自分たちの荷物は穂高の山小屋なので、もう一度登って取りに行きました。そのときのメンバーは、今でも親交があります」
1980年秋、大学四年生として就職を決める時期になっていた。
「山ばかりで就職活動はしていませんでした。教授から、そろそろどこか決めないといかん、山が好きだったら長野にセイコーエプソンがあるから受けてみなさい、と言われたのです」
長野県塩尻市で働き暮らす
1981年、幸西はセイコーエプソンに開発設計エンジニアとして入社した。最初の勤務地は諏訪であったが、間もなく小型情報機器の開発拠点である塩尻事業所(塩尻市塩尻町)に転勤となり、塩尻に移り住んだ。
1984年、学生時代からの山仲間であった山口の女性と結婚し、二人の子供に恵まれた。一九九二年には塩尻市大門にマイホームを建て、本籍も移した。
仕事では、一貫してセイコーエプソンの開発設計に携わってきた。
「セイコーグループのデジタル腕時計の開発から始まり、世界初のリストコンピューター(EPSON RC-20)を企画開発しました。アップル・ウォッチが登場する30年以上も前です。売れませんでした。キングジム「テプラ」の技術はセイコーエプソンが提供し、わたしは開発を担当しました」
塩尻市広丘にはセイコーエプソンの広丘事業所がある。一九六一年に信州精器として出発し、一九八六年には世界初となる小型軽量デジタルプリンターを開発した。現在、広丘事業所は世界トップクラスの研究開発センター、セイコーエプソンの中核拠点となっている。「信州から、世界に彩どりを。」が同社の企業メッセージである。
塩尻市観光ワインガイド
幸西は50歳となり、子供も手を離れ、大企業の社員としての将来、その先を思案しながらも、情熱をかける何かが見えずにいた。
「山に登ることもありましたが、家でぶらぶらしてることが多くて。見かねた妻から、塩尻市が観光ワインガイドを募集しているけど受けてみたら、と言われました」
幸西の妻は、結婚して長野に住んでからも登山を楽しみ、家族で北海道に旅行することもあった。
「家族で旅行してよかったのが富良野です。大雪山から十勝連峰の雄大な景色があり、その山麗にラベンダー畑やファームハウスも広がります。その風景は塩尻に似ています。定年後は塩尻の観光に協力できたら、と漠然と思っていたので、妻の勧めにはっとしました」
塩尻市観光協会は、地元の風土やワインについて伝えるガイドの養成講座を2009年に始めた。幸西は、一年間受講して試験に合格し、2010年に塩尻観光ワインガイドに認定された。
塩尻ワイン大学
塩尻観光ワインガイドとして観光協会が主催する「塩尻ワイナリーフェスタ」のツアーに添乗し、ワイン関係者と交流するなかで、幸西の興味が深まっていった。
「ワインは塩尻に来てからでした。その頃は地元コンコードのワインなど、美味しいけれども甘口で、それほど飲んでいませんでした。ワインガイドをしていくなかで、メルロなど国際品種のものを味わい、ワイン好きの人のうんちくに関心して、もう少し勉強してみようかな、と思いました」
長野県は、ワイン産業の発展と長野ワイン(NAGANO WINE)のブランド促進のために、2012年に「信州ワインバレー構想」をスタートした。翌年、その施策の一つとして、県内でワイナリーの開業を目指す人を対象に、農地の手当、ブドウ栽培、醸造、経営などワイナリーに必要な知識と技術を学べる一年間の講座「ワイン生産アカデミー」を開講した。2014年、幸西は第二期に参加する。
時を同じくして塩尻市は、市の農業とワイン産業の活性化に向けて「ワイン大学」第一期を開講した。ワイン醸造用ブドウの栽培やワイナリー設立を目指す人が、栽培管理技術、醸造技術、経営手法を学ぶことができる。4年間のプログラムで、募集人数は20名。幸西は、塩尻ワイン大学にも応募し、百数十人の応募者の中から選考をくぐり抜けて、35名の一人となった。
「ワインの勉強が目的で、ワイナリー設立は考えていませんでしたが、倍率が高いのは聞いていました。願書には志望動機が必要です。北海道の富良野は人気の観光地となっています。この塩尻片丘には『しののめのみち』があり、北アルプスが眺望できます。この片丘にワイナリーが広がり、富良野のようになる、そのお手伝いがしたい、と書きました」
ワイナリー起業を決心
塩尻ワイン大学、第一期、第一回の講義は、2014年5月31日、元長野県果樹試験場長の茂原泉氏によるブドウ栽培概論であった。幸西と同じ第一期生で、北小野に「いにしぇの里葡萄酒」ワイナリーを設立した稲垣雅洋は、ホームページに次のように書き残している。
「葡萄樹にとって最も注意しなければならないウィルスの話しから始まり、塩尻の土壌や気候、世界の有名な葡萄産地との気温や降水量比較。雨の多い日本では、病気に強い山葡萄系も選択肢になるのでは?といったことも。収穫量は結果母子(新梢を出す枝)をどの位の長さにし、新梢を何本にして、そこに何グラムの房を何房付けるかにより、予めある程度予測することが出来る。選択する品種により、一房の重さはおおよそ分かるので、そこから逆算し、10アール辺り何キロ収穫でき、何リットルのワインが作れるか?」
幸西は「ワインガイドのための勉強」という動機で参加したが、同期の仲間の熱気のなかで気持ちが変化していく。
「具体的にワイナリーの準備をしている人もいたし、遠くは島根県から通ってくる人、脱サラして起業を考えている人もいました。とにかくワインをやりたくてしかたのない人ばかり。周囲に感化されてしまって、ちょっとやってみようか、そんな成り行きでした」
「最初は、50代後半から始めてブドウ栽培、ワイン醸造なんてできるの、という視線を感じることもありました。しかし、やはり実家が農家で、畑仕事、栽培の実習にも違和感がなく、地道にやればできるかな、と感じました。ワイナリーは畑仕事が七割、八割の農業だと思います。塩尻市の農政課の方にも手厚くサポートしていただいて、同期の絆もできてきました」
2015年、早くもワイン大学の二年目には、ブドウ栽培への新規就農、ワイナリー起業に向けて、幸西は進み始めた。
「別の世界に入るような感じではなく、醸造も勉強し始めた二年目に決心しました。二人の子供は結婚して独立して、自分自身と夫婦でのことを考えられるようになっていました。会社は60歳定年でしたが、57歳になると年金保険料納付も終わり、早期選択定年で退職金も割り増しになります。幸い経済的にも、何年かかけてワイナリー準備ができる貯えがあり、妻も応援してくれます。体力を考えても、早い方がよい、と会社を退職し、ワイナリー起業を目指しました」
アルプス展望しののめのみち、丘の上のワイナリー
ワイン大学の二年目には、里親ワイナリーでの醸造研修も始まった。
「里親研修は、サントリーワイナリーにお世話になりました。畑は、草を刈って、健全なブドウを育てなさい。醸造所では、一に洗って、二に洗って、三四がなくて、五に洗って、とにかく清潔にしなさい。その教えを、いつも心して実践しています」
ワイン大学が開校した2014年、塩尻市は国から構造改革特別区域(ワイン特区)の認定を取得した。ワイナリーを設立するためには、酒税法(第七条)により通常は年間6キロリットルの見込み数量が必要だが、特区認定を受けた区域では、2キロリットルの見込み数量でも製造免許を受けることができる。
自らのワイナリー設立を目指す幸西は、ワイン大学を通じて塩尻市の農政課のバックアップを受け、ブドウ栽培のための圃場を探し始めた。
「ワイン特区で免許を得るための2キロリットル、ワインのボトルで約3千本をまず考えました。ブドウの品質のために垣根式で栽培したかった。栽培するのは自分自身です。広すぎてもできず、ギリギリの収穫量を考えると、少なくとも50アール(50メートル×100メートル)の畑が必要です」
「片丘のアルプスを眺望できる丘で栽培したい、と希望していたら、農政課や農業委員会の人が力になってくださいました。当時、片丘にはワイナリーもなければ、果樹園も限られていました。周囲の農家の皆さんの理解を得るまでに、調整の時間がかかったようです。ワイン大学に通っていたこともあり、いち早く現在の圃場を借りることができました」
幸西ワイナリーの圃場の標高は750メートル。高ボッチ山の西側の裾野、アルプス展望しののめのみち(塩尻市道東山山麗線)からなだらかに下る斜面にある。澄んだ空気の日には、北アルプス連峰がくっきりと見える。
五種類のブドウ
「どの品種のブドウを植えようか。自分の好きなやわらかいボルドー系、メルロやカベルネ・フランの国際品種を育てたいな」
里親ワイナリー醸造研修を受け、圃場の手当をしながら、幸西は思いをめぐらせた。
「片丘では初めてのワイン用ブドウ栽培ですが、塩尻ではメルロの実績があります。約70年前に林農園(五一わいん)さんが初めてメルロを植えたころは、冷害がたいへんだったと聞きます。近年の塩尻は氷点下15度以下になる日は少なく、メルロの適地になってきています」
「小さなブティックワイナリーですが、一種類ではなく、バラエティがあり、土地に合っていて、自分が好きなものにしたいと考えました。メルロを中心として、白はやはり王道のシャルドネ。あまり種類を増やすと50アールでは、量が造れなくなります。今まで飲んできた中でよかったソーヴィニョン・ブランを、白でもう一種類加えて。赤では将来への期待もあり、カベルネ・フランとカベルネ・ソーヴィニョン。計五種類を植栽しました」
「収穫の時期は、品種により一週間ぐらいずつ変わります。十月の初めごろにソーヴィニョン・ブラン、そしてシャルドネ、メルロ、カベルネ・フランと続き、最後にカベルネ・ソーヴィニョンです。それぞれ、この片丘でどのようなブドウとなり、どのようなワインが造れるか。毎年の気候によっても変わりますが、地道に丁寧に育て、いつか片丘のワインの個性というものが出せると嬉しいです」
自らのワイナリー設立に向けて
2016年、塩尻ワイン大学の3年目から幸西はブドウ栽培を始めた。
そして2017年に収穫したブドウを委託醸造し、「丘の上 幸西ファームワイン2017」を2018年にリリースする。メルロ 90%、カベルネ・ソーヴィニョン 5%、カベルネ・フラン 5%の赤ワイン。
2018年12月、東京銀座にある長野県のアンテナショップ「銀座NAGANO」において、塩尻ワイン大学第一期生が造りだしたワインのお披露目会が開催され、そこに幸西のワインも並んだ。
幸西にとって、自ら片丘で栽培したブドウによるワインのリリースは大きな達成であると同時に、自らのワイナリー設立に向けた通過点であった。
「ワイン造りは畑仕事が七~八割と言いましたが、自分自身の新しいワイナリーを起業するのには、まだまだ大きな山があります。ワイン醸造の設備投資だけでなく、それ以前にワイナリー建設の許可が下りる土地が必要です。そして、最大の関門は、果実酒製造販売ライセンス(免許)を税務署から取得しなければなりません。そのためには、資金計画も含めて準備し、書類を整えて、何度も通います。塩尻ワイン大学でこうした知識を教わり、ワイナリー建設と免許取得の目標から逆算して、二カ年のスケジュールを立てました」
2019年秋の「丘の上 幸西ワイナリー」の開業に向け、幸西はブドウ栽培と並行して、ワイナリー建設とライセンス取得の関門に取り組んだ。
(了)
本稿は、新居直明著『片丘ワイナリー物語』Kindle電子版2024年7月15日発行、ペーパーバック版2024年7月16日発行(ISBN 9798333096784)を底本として、本サイトに公開しています。
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