片丘(かたおか)は、長野県塩尻市の北東部、高(たか)ボッチ山(標高1665メートル)の稜線から田川右岸(標高650メートル)にかけてのなだらかな西斜面にある。片丘という地名は、片側だけが穏やかな丘陵地帯となっていることに由来している。

長野自動車道塩尻インターチェンジと松本市街を結ぶ塩尻市道 東山山麗線は、片丘を南北に走り「アルプス展望しののめのみち」と呼ばれている。西方向を眺めると、広丘(ひろおか)地区、田川と奈良井川に挟まれた扇状地のはるか向こうには、標高三千メートル級の北アルプス連峰を望むことができる。
『塩尻市の集落の歴史・片丘地区』(塩尻市誌1995年)によると、北熊井から東の山頂となる「高ボッチ」は、明治43年(1910年)に陸軍測量班の地形図作成時に命名されたもので、それ以前は山葡萄の蔓がはびこり「ぶどう」と呼ばれていた。
標高7~800メートルの山麗には、竹ノ花遺跡、舅屋敷(しゅうとやしき)遺跡、小丸山遺跡、矢口遺跡など、縄文時代の遺跡が並んでいる。当時の人々の生活の中にも、きっとブドウがあったに違いない。
江戸時代には、中山道の塩尻宿から松本城下にいたる東街道が通り、中挾(なかばさみ)、南熊井、北熊井、君石(きみいし)、内田原(うちだはら)、南内田と集落が連なった。明治7年(1874年)には片丘村となり、昭和34年(1959年)に合併して塩尻市の地区となった。
山からの湧水は限られた土地であり、沢からの灌漑用水や溜池をつくり、畑を拓いてきた。風当りの強い片丘の傾斜地は桑栽培に適していたため、明治から大正期の養蚕製糸業の発展と共に、多くの畑が桑園となった。昭和にはいると、世界大恐慌による輸出激減や化学繊維の台頭とともに、養蚕業と桑栽培は衰退した。
戦後は酪農が奨励され、片丘村の牛乳生産量は一時期、長野県下一といわれるまでになった。畑では、小麦、豆類、根菜類が作られている。昭和52年(1977年)からは、大型農機具を利用できるように田畑の圃場整備が進められた。しかし、平成期には専業農家の減少と後継者不足から、遊休農地が拡大してきていた。
そしてワイン醸造用ブドウの栽培適地として注目される。

