EPSON 広丘の歩み

片丘ヴィンヤードからの風景(撮影:2025年10月、新居直明)

ブドウ畑が広がる片丘から北西を望むと、近代的なビル群が目に入る。ここがセイコーエプソンの中核拠点、広丘事業所である。その生いたちと発展の軌跡をたどる。
    

信州精器の設立

セイコーエプソンの源流は、セイコー腕時計の部品製造・組立工場として1942年(昭和17)に諏訪市に設立された有限会社大和工業にある。同社は1959年(昭和34)に第二精工舎諏訪工場を営業譲受し、株式会社諏訪精工舎に改組した。

日本が高度経済成長期に入る中で、時計の需要が拡大すると共に、精密機器においても新しい技術の活用が重要となった。1961年(昭和36)11月、機械式時計の精密部品製造を強化するために、諏訪精工舎は松本市に信州精器株式会社を設立し、翌年に同社村井工場が操業を開始した。
    

東京オリンピックから生まれたEP-101

1964年(昭和39)に開催された東京オリンピックでは、当時のセイコーグループ三社が公式時計を提供し(精工舎の大時計、第二精工舎の機械式ストップウオッチ、諏訪精工舎のクオーツ機器)、その高い品質によって大会の成功に貢献した。特に、オリンピックでは正確な計測に加えて正確かつ迅速な記録が重要であることから、諏訪精工舎と精工舎は記録を自動印刷するための「プリンティングタイマーⅠ型」を共同開発した。

諏訪精工舎は、さらに小型軽量のデジタルプリンター技術に取り組み、プリンティングタイマーを発展させたⅤ型を単独開発し、1966年(昭和41)に北海道で開催された第21回冬季国体スキー大会で使用された。そして、この「プリンティングタイマーⅤ型」を基に初の商用製品となる「EP-101プリンター」を開発した。1968年(昭和43)、諏訪精工舎はEP-101の商品化と製造販売を信州精器が担当することを決定し、翌年に松本市の村井工場で製造を開始した。このEP-101を出発点として、信州精器は電子機器事業を中心に発展していくこととなる。
    

塩尻市広丘に新工場建設

EP-101が世界的に評価を得て、さらなる電子機器事業の成長が見込まれる中で、より大規模な工場が必要となった。信州精器は塩尻市広丘に用地を取得して建設にあたり、1970年(昭和45年)にデジタルプリンター専門の広丘工場が完成した。

写真提供:セイコーエプソン株式会社

セイコーエプソン株式会社が2020年6月に発行した冊子『Epson Elements』には、明るく清潔な広い空間に何列もの机が並び、大勢の工員が細かな組み立て作業を行う、EP-101製造ラインの写真が掲載されている。

写真提供:セイコーエプソン株式会社

1974年(昭和49)には、諏訪精工舎から広丘工場に液晶表示体(LD)事業を移管し、電卓用液晶パネルの量産を開始した。
    

EPSONブランドの誕生

プリンターなどの新たな情報機器の開発や世界市場への進出をはかり、お客様に商品イメージを遡及していく中で、信州精器はグローバルなブランドを必要とした。そこで、1975年6月、「EPSON」をブランドとして制定した。

「EPSON」の名前には、信州精器の多角化がミニプリンタ「EP (Electric Printer) -101」のヒットから始まり、そのEPをベースに多くの価値あるSON(子供)たちを世に創出していこう、という思いが込められている。

この商標の登録により、以後、同社が製造販売するプリンタ、液晶表示体、電子機器、コンピュータ周辺機器等には、すべてEPSONブランドが付けられるようになった。
   

1975年(昭和50)、信州精器はデジタルプリンターの累計生産台数、500万台を達成した。
    

セイコーエプソン株式会社の発足

1982年(昭和57)7月、創立20周年を迎えた信州精器は、EPSONの知名度が国内外で高まる中で、社名をエプソン株式会社に変更した。

1985年(昭和60)11月には、株式会社諏訪精工舎とエプソン株式会社とが合併し、現在に続くセイコーエプソン株式会社(Seiko Epson Corporation)が発足した。
    

世界のインクジェットプリンター市場の拡大

1984年、セイコーエプソンは独自のマイクロピエゾ技術によるインクジェットプリンター「IP-130K」を発売した。コスト的にはHPやキヤノンが採用する加熱による気泡圧力でインクを吐出する「サーマル方式」が有利であった。一方、エプソンが採用した「ピエゾ方式」は、電圧によって微小に変形するピエゾ素子に機械的な動きによってインクを吐出する。熱を使用しないことによって、エプソンのインクジェットプリンターは、高耐久性、インクの多様性、高画質と高精度の両立という戦略的価値を実現した。

1995年にはMicrosoft社が新しいオペレーティングシステム、Windows 95をリリースし、PC市場はオフィス用と家庭用ともに急速に拡大した。Windows 95はプラグアンドプレイ(PnP)機能に対応し、周辺機器の自動認識とドライバのインストール機能が可能になり、その結果、PCに接続するプリンターの利便性が高まった。エプソンは、この機会に合わせて、初のカラーインクジェットプリンター「カラリオ」を発売した。

1990年代後半からは、デジタルカメラ市場が家庭用とプロ用ともに拡大した。エプソンはマイクロピエゾ技術による「写真画質」を活かして世界のインクジェットプリンター市場におけるリーダーとなった。
    

イノベーション拠点としての広丘事業所の発展

21世紀にはいると、世界のプリンター需要の拡大と質的な変化のなかで、次世代情報関連機器の開発体制の強化が求められた。2004年(平成16)11月、セイコーエプソンは広丘事業所内に研究開発拠点を開設することを決定し、2006年4月に「エプソンイノベーションセンター」が完成した。

写真提供:セイコーエプソン株式会社

エプソンイノベーションセンターは、省エネルギー・省資源による高い環境対応型の建物として設計された。太陽熱利用装置や太陽電池に加え、外気や自然エネルギーを活用して冷暖房負荷を低減し、吹き抜け構造によって省エネをはかり、昼光を取り入れて照明不可を低減するなどの工夫がなされている。
    

オフィス複合機市場における評価の高まり

世界的に地球温暖化(気候変動)が課題となるなかで、2015年9月に国連サミットにおいて「持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)」が採択され、同年12月にはカーボンニュートラルを目指して「パリ協定」が採択された。そして、企業においてもサスティナビリティ、温暖化対策が重要な経営課題となった。

従来、オフィスのプリンター、業務用複合機市場においては、熱を使用する「レーザー方式」が普及していた。一方、エプソンのインクジェットプリンターは、機械的にインク吐出を制御する「ピエゾ方式」を採用している。熱を使用せずに低消費電力であることから、CO2排出量削減・環境対策として企業に評価され、導入が広がっている。
    

商業・産業プリンティングへの展開

2018年(平成30)10月、セイコーエプソンは、戦略的製品や最新モデルのデモンストレーションなどを社外の関係者に体験してもらえるように、コミュニケーションスペースとして「広丘ソリューションセンター」を開設した。特に、オフィスや家庭におけるプリントから、商業・産業分野におけるプリンティングと環境負荷低減へと貢献領域を広げている。

そして、新領域の推進のため、2022年(令和4)5月、広丘事業所に3つの新しいソリューションセンターを開設した。ファッション分野で活用されるテキスタイル印刷を中心とした「DTF (Direct to Fabric) 」、デジタル・ラベル印刷を中心とした「Label Press」、そして、使用済みの紙から新たな紙を再生産するプロセスを中心とした「PaperLab」の3つである。
    

EP-101の輝き(Heritage)

2025年(令和7)、EPSON広丘事業所の開設と発展の出発点となった「EP-101 電子式卓上計算機用ミニプリンター」が、日本機械学会の「機械遺産 (Mechanical Engineering Heritage)」第131号に認定された。
https://www.jsme.or.jp/kikaiisan/heritage_131_jp.html

写真提供:セイコーエプソン株式会社

(了)


本稿は、公開情報をもとに新居直明の文責にて作成しました。写真はセイコーエプソン株式会社様よりご提供いただきました。お力添えありがとうございます。本稿の内容について、事実の誤認や改善すべき点などお気づきの点はコンタクトフォームよりご連絡いただけると幸いです。

    

    

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