塩尻メルロの伝統

日本の赤ワイン銘醸地

「日本ワイン」は、日本国内で栽培されたブドウを100%使用して国内で醸造されたワインである。日本ワインの製成数量は1万4千キロリットル。都道府県別の第1位は山梨県の4,278キロリットル、第2位が北海道の3,638キロリットル、第3位が長野県の2,767キロリットル(「酒類製造業及び酒類卸売業の概況」令和6年12月・国税庁課税部酒税課)。

赤ワインについてみると、第1位は長野県の1,599キロリットル(全国の30%)、第2位が山梨県の1,317キロリットル、第3位が北海道の1,095キロリットルとなる。塩尻市は、長野県の赤ワイン生産をブドウ栽培と醸造の両面でリードしてきたが、それは桔梗ヶ原から始まった。
    

先駆者たち

塩尻では、明治23年(1890年)に豊島理喜治氏によって桔梗ヶ原でのブドウ栽培が始まり、7年後の明治30年にはワインが醸造される。

そして、林農園の林五一(ごいち)氏によって塩尻・桔梗ヶ原でのワイン造りの礎が築かれる。明治44年(1911年)に桔梗ヶ原に入植し、ブドウ、梨、リンゴなど様々な果樹栽培を手がけ、大正8年(1919年)にはワイン醸造を始めた。

日本ワインの銘醸地として塩尻・桔梗ヶ原の名を世界に知らしめたのが、赤ワイン用の国際品種「メルロ(メルロー)」である。

昭和26年(1951年)、林農園の林五一氏と息子の林幹雄氏は、秀逸なワイン造りに欠かせないブドウ品種を求めて全国各地を訪問していた。東北の冷涼な山形県赤湯(現在の南陽市)で育てられていた欧州系品種のメルロに出会い、塩尻での可能性を感じて穗木を譲り受けた。

塩尻の冬の最低気温は、積雪のある山形県赤湯よりも低く、メルロは樹皮が弱り枯れてしまう困難があった。林農園は、冬期に藁(わら)を巻き、試行錯誤の末に高い位置で接ぎ木する「高接ぎ法」を考案するなど、その信念と努力によって、塩尻・桔梗ヶ原にメルロを根付かせた。
    

本格ワインの銘醸地に

昭和39年(1964年)の東京オリンピック、昭和45年(1970年)の大阪万国博覧会、高度経済成長期による所得増加、そして昭和46年(1971年)の1ドル360円の固定為替レート終了による円高への移行と国際化の進展により、人々のワインへの嗜好が変化してきた。

メルシャンのルーツの一つとなる大黒葡萄酒は、昭和13年(1938年)に塩尻工場を開設し、生食や果汁飲料にも使用される米国原産ブドウ品種のコンコードやナイアガラを桔梗ヶ原の農家から仕入れていた。しかし、市場では欧州品種から醸造された本格ワインが求められるようになり、米国系品種中心では事業が難しくなってきた。

メルシャン(当時は大黒葡萄酒を継承した三楽オーシャン)の浅井昭吾氏は、親交の深い林農園の林幹雄氏に相談し、欧州系品種メルロの可能性にかける決断をした。昭和51年(1976年)1月、大黒葡萄生産出荷組合の農家約百人にメルロ栽培への転換を呼びかけ、賛同した約60人の農家が桔梗ヶ原でのメルロ栽培に取り組んだ。

そこで植えられた数千本の苗木からブドウが育ち、10年目となる昭和60年(1985年)、素晴らしいメルロが収穫された。平成元年(1989年)、このブドウからシャトー・メルシャンが醸造した「信州桔梗ヶ原メルロー1985」がリリースされ、リュブリアーナ国際ワインコンクールで大金賞を受賞した。
    

(了)

    

    

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