塩尻ワインシティー
造り手のパーソナルストーリー
長野自動車道を岡谷インターチェンジで降りて、国道20号線を松本・塩尻方面に向かう。諏訪湖を背後にワインディングロードを上がっていくと、間もなく塩尻峠(標高1,012メートル)を越え、遠くに北アルプスを望むようになる。国道は、右手の高ボッチ山(標高1,664メートル)から前方の塩尻市街にかけての山麓斜面を抜けていく。
やがて左手に明るい地中海風の建物が連なる。ここが長野県塩尻市柿沢の「サンサンワイナリー」であり、ショップ「Bottega」とレストラン「La Bottega della Pizza Napoletana」が併設されている。展望テラスの足下には、垣根仕立てのブドウ畑が広がっている。
2025年8月、サンサンワイナリーにファクトリーマネージャー(醸造家)の田村彰吾氏(以下敬称略)を訪ねた。なぜワインを造るのか、どのような夢を描いているのか。そのパーソナルストーリーをつづる。

生いたち
田村彰吾は平成元年(1989年)、琵琶湖が北に広がる滋賀県大津市に生まれた。大津は、JR新快速で京都へは10分、大阪へは40分と交通の便がよいことから、京阪神地域でも人気の都市として発展してきた。
田村は小学生のときから身長が高く、友達に誘われてバスケットボールを始めた。中学校では全国大会に出場し、高校時代もバスケットボールを続けた。得意科目は数学、物理、化学。理系の進学を目指していた。
田村の父親は事業を経営していた。仕事上、京都での会食の機会が多く、家族でレストランでの食事を楽しむことも少なくなかった。両親がワイン好きとなったきっかけを、田村は振り返る。
「京都に父が好きなイタリア料理のレストランがありました。そのお店で生産者が来日するワイン会があり、家族で行きました。ピエモント州の造り手のバローロに感激して、父はワインの深みにはまっていきます。ワインセラーを買って家でもワインを楽しみ始めて、それまであまりお酒を飲まなかった母もワインを好きになりました」
山梨大学ワイン学科へ
「父親が贔屓にしていた京都のイタリアンには、ソムリエがいました。いろいろなワインを両親にサーブされて、その時の会話に興味を持ちました。グラスに注がれた色や香りに私も感想を話すようになって、『彰吾くんの将来はワインの道かな』とソムリエから言われます」
2006年、山梨大学は翌年から新たにワイン学科(正式名称「ワイン科学特別教育プログラム」)を開設することを発表した。学部4年、修士2年、計6年間の特別コースである。
「私が高校三年生の時でした。京都のソムリエの方がその新聞記事を教えてくれました。当時、山梨大学ではワイン学科は工学部に置かれていて、理系の私にも合っていました。『ワインの勉強をしたいので山梨大学に行きたい』と父親に話しました」
2008年の山梨大学ワイン学科の募集人数は5名。田村は、センター試験、二次試験、面接を突破して、同プログラム第一期生6名の一人となった。
「自分が美味しいと思ったワインを世界中から仕入れてきて、日本のお客さんに届けたい。インポーターの仕事をしたかったのです」
山梨での実習
2011年、学部4年生になるとワイナリーでのインターンシップが組まれ、田村はシャトー酒折ワイナリーを訪れた。
「ワイン造りの現場を見て、すごく楽しくて、ここでアルバイトをしたいと思いました。醸造長の井島さんに相談すると、快諾してくださいました。それからは、シャトー酒折ワイナリーで働きながら大学に通いました」
修士課程1年目の実習では、山梨大学が管理する圃場で栽培した「甲州」品種から白ワインを醸造した。
「この甲州ワインは、名古屋にいた知り合いのソムリエの方に贈りました。『とても美味しい甲州ですね』と、丁寧なお手紙で褒めていただいたのが嬉しかったです」
インポーターへの就職
2013年、修士課程2年目、田村は卒業後の進路として静岡市に本社を置くワインインポーターの「ヴィノスやまざき」から内定を得た。
「ワインの仕入れと販売をしたいと思い、就職活動をしていました。その当時、ワイン業界では新卒の求人は少なく、狭き門でした。2014年4月に入社し、最初の2ヶ月は東京の店舗で、その後は静岡の本店に勤めました。本部が仕入れた推しの商材についてポップを作って、陳列を工夫し、店舗に立って接客もしました」
そして一年間を勤めた2015年3月、田村は「ヴィノスやまざき」を退職し、同年4月、サンサンワイナリーに就職した。
サンサンワイナリーの誕生
サンサンワイナリーは、愛知県名古屋市に本部を置く1987年(昭和62年)設立の社会福祉法人サン・ビジョンを母体としている。サン・ビジョンは高齢者福祉施設と保育所を愛知県から岐阜県、長野県へと展開し、2012年(平成24年)には塩尻駅前に大規模な複合型施設「グレイスフル塩尻」を開業した。
地域との共生、地域活性化への貢献を企業理念に掲げるサン・ビジョンは、塩尻市では高齢化によって増加している耕作放棄地の活用、そして福祉と農業の連携にも取り組んだ。
2011年、サン・ビジョンは、有休荒廃地となっていた柿沢の斜面を開墾し、「サンサンヴィンヤード柿沢」としてワイン用ブドウの苗木を植栽した。さらに2015年のワイナリー開業を目指して事業計画を策定し、2014年3月には農林水産省の六次産業化・地産地消法に基づき「子ども達に残したい美しい環境を育む信州産ワインの製造・販売事業」の認定を受けた。
そして、サンサンワイナリー立上げの醸造責任者として、山梨大学で発酵学を修めた後、マンズワイン工場長をはじめ県内ワイナリーの後進教育に努めた戸川英夫氏(以下敬称略)が招聘された。
師との出会いからサンサンワイナリーへ
田村彰吾は、ワイン造りの師となる戸川英夫との出会いを振り返る。
「戸川さんがサンサンワイナリーの立上げに参加したときには60代後半でした。『引き受けるにあたっては醸造の技術を継承する若者が欲しい』と、関係者に相談したそうです。そして山梨大学ワイン学科の講師の方を通じて、私に声をかけていただきました」
田村は既に内定を得て、2014年4月から「ヴィノスやまざき」に就職することが決まっていた。
「ワインのインポーターの道へ進みたいと思い、山梨大学ワイン学科に来ましたが、シャトー酒折ワイナリーでの仕事や自ら造った甲州ワインの経験が心に残っていました。新しいワイナリー、しかも、それなりの規模の法人としてのワイナリーの立上げに参加するチャンスはまずありません。ブドウ栽培、ワインの醸造、そして販売まで、その全てに携わってよいワインを造る。戸川さんの情熱に心が動きました」
「ワイナリーがオープンするのは2015年。戸川さんは、それまで待つと言ってくださいました。山梨大学を卒業した2014年は『ヴィノスやまざき』で全力で働きました。そして年末に退職のお願いをして、2015年4月、戸川さんの下、サンサンワイナリーに入社しました」
手探りでのスタート
サンサンワイナリーは、戸川英夫の「美しいワインは、美しい清潔な環境から生まれる」という理念のもと、醸造の作業効率と安全性と並んで、徹底した衛生管理を考慮して設計された。ワイナリーに連なる緩やかな斜面には、2011年からメルローとシャルドネ、そしてシラーが植栽され、2015年にはワイン仕込みのための初ヴィンテージを迎えていた。
ワイナリー施設がオープンしてブドウ収穫に向けた準備は整うなかで、醸造の現場は田村に任された。
「私がワイナリーに着任したとき、建屋はできていましたが、醸造に必要な細かな資材が不足していました。購買予算も限られているなかで、もう一名のスタッフとともに手探りで醸造から樽詰め、瓶詰めのラインを組んでいきました」
「一番最初に瓶詰めしたのはスパークリングワインでした。サンサンワイナリーにはスパークリングワインを製造できるタンクや専用の充填機があり、スティルワインからスパークリングワインを製造することが可能ですが、ノウハウがありません。充填できなかったり、漏れたり、課題に直面します。装置の輸入業者に問い合わせ、自分でも調べて、試行錯誤してなんとか仕上げることができました」
サンサンワイナリーが醸造した2015年ヴィンテージのワインは、2017年(平成29年)2月、長野県原産地呼称管理制度(NAC)のもと長野県スティルワイン基準認定品として8商品が登録された。「シャトー・サンサン メルロ 2015」「サンサンワイナリー メルロ ライトバレル 2015」「アトリエ・ド・フロマージュ メルロ クラレット 樽熟成 2015」「シャトー・サンサン シャルドネ 2015」「サンサンワイナリー シャルドネ シュール・リー 2015」「サンサンワイナリー シャルドネ マルキーズ 2015」「シャトー・サンサン シラー 2015」「サンサンワイナリー クリスタルコンコード 2015」
柿沢ルージュ
翌2016年は雨が多く、ブドウの栽培と収穫には難しい年であった。しかし、田村にとってはエノログとしての自信につながるヴィンテージとなった。
「9月にはブドウの玉割れが起きて、ブドウのできがよくありませんでした。シャトーというフラッグシップ商品を造るために樽詰めしたのですが、十分な品質ではありませんでした。そこで考えて、初めてメルローとシラーをブレンドすると、味わい深くまとまりました。戸川さんのテイスティングでも評価していただき、商品化を決めました」
「このワインを『サンサンエステート 柿沢ルージュ 2016』と名付けて3,100本を造りました。当初はなかなか売れ行きが上がりませんでしたが、出品していたJapan Wine Competition(日本ワインコンクール)2019の欧州系品種赤部門で銀賞を受賞したのです。サンサンワイナリーとしてコンクールでの初めての受賞です。戸川さんと一緒にコンクールの授賞式に招かれ、誇りに思いました。商品としても完売しました」
地域ワイナリーの交流
サンサンワイナリーが軌道に乗り始めた2010年代後半には、塩尻地域のワイン産業全体が発展した。2013年に長野県は「信州ワインバレー構想」を策定し、ワイン産業の振興に取り組み始めた。
塩尻市は、2014年に四年制のワイン大学を開講し、ワイン特区制度を整えた。2017年には北小野に「いにしぇの里葡萄酒」、2018年には宗賀に「ベリービーズワイナリー」、下西条に「霧訪山シードル」、郷原に「ドメーヌ・スリエ」、片丘に「丘の上幸西ワイナリー」、「ドメーヌ・コーセイ」と新しいワイナリーの設立が続いた。
「2021年は、よい意味で、私のワイン造りが大きく変わった年になりました」、田村彰吾は振り返る。
「サンサンワイナリーに入社してから塩尻に来たのですが、地域での交流はあまりありませんでした。しかし2021年にはいってから、自分から外に出ていかなければと思い、関東信越国税局の勉強会に参加しました。そこにベリービーズワイナリーの川島和叔さんも来ていて、声をかけてくれたのです。そこから塩尻地域のワイナリーの皆さんとの交流が少しずつ広がり、知識や経験を教えていただくことができました」
「ワイナリーとしてのブドウの栽培を見直したのもこの頃です。それまでは各人が自分の考え方で誘引や選定をしていました。皆でブドウ栽培のバイブルを読んで、ワイナリーとしての考え方を統一していきました」
柿沢の気候と栽培品種
塩尻市を日本ワインの銘醸地として国内外に知らしめたのは、桔梗ヶ原のメルローといっても過言ではない。桔梗ヶ原は、木曽駒ヶ岳山塊から流れ出す奈良井川が松本平に入って右岸に形成した標高700メートル前後の乏水性の台地である。
1911年創業の林農園(五一ワイン)、1916年創業の信濃ワイン、1933年創業の井筒ワイン、1938年開設のシャトー・メルシャン桔梗ヶ原ワイナリー、2004年創業のKidoワイナリーなどが桔梗ヶ原でブドウを栽培している。奈良井川の河岸段丘には、1927年創業のアルプスの自社圃場、2010年創業のヴォータノワイン、そして左岸の岩垂原には1936年創業のサントリー塩尻ワイナリーの圃場が広がる。
一方、サンサンワイナリーは、標高850メートル前後の柿沢の自社圃場でブドウを栽培している。田村は、この柿沢の特長を次のように語る。
「柿沢は標高が高いだけでなく、塩尻峠から高ボッチにかけての山嶺の西側斜面の中腹にあります。そのため日照時間の長さから日中の温度は上がりますが、夜間から明け方には気温が下がります。この昼夜の温度差によって、ブドウは酸を保持しながらも糖度が上がって、着色もしっかりします。柿沢の赤は、酸がしっかり残っているのが特長だと思います」
「また収穫のタイミングも、桔梗ヶ原に比べると後ろにずれます。秋雨前線が抜けた後に、晴天の中でブドウを収穫できる年があり、これも標高の高さのメリットになっています」
「このような柿沢の特長を活かして、メルローやシャルドネに続く、塩尻ならではの品種を育てていきます。ピノノワールは、2022年のヴィンテージからリリースし、ソーヴィニヨンブランは、2024年のヴィンテージをリリースします」
そして、2025年7月、サンサンワイナリーが標高864メートルの自社圃場で栽培したシャルドネから醸造した「柿沢シャルドネネイキッド2023」が、Japan Wine Competition(日本ワインコンクール)2025で同社初となる金賞を受賞した。
前年の2024年には、林農園(五一ワイン)が柿沢の自社圃場で栽培したメルロから醸造した「エステートゴイチ メルロ 柿沢 2021」が金賞・部門最高賞を受賞しており、二年連続の柿沢の金賞受賞となった。
ワインの魅力を広める
2025年、日本ワインコンクール金賞受賞というステージに立ち、田村はどのような思いを抱いているのだろうか。
「ワインは、人と人との出会いやコミュニケーションが広げていくものだと思います。ワイン造りをしながらも、私自身、もっと消費者に日本ワインを知ってもらう機会をつくっていきたい。品種やヴィンテージの違い、生産者の違いなど、やはり飲み比べることによって違いが感じられるようになります。違いが分かると、自分の好みも分かってきて、友達との会話のきっかけにもなります」
「ワインは、ワイン単体ではなく、食事と合わせてテーブルに並べて、家族や友人と飲むのが楽しいです。豪華な食事や難しいマリアージュは気にせずに、普通の家庭料理でいろいろなワインを楽しんでほしいです」
「私の家族の幸せも、ワインがきっかけでした。妻は、私が静岡で勤めていた『ヴィノスやまざき』のお客さんでした。ヴィノスを退職するときの送別会で、お世話になった先輩から紹介していただき、縁があって結婚しました」
そう話して、田村彰吾は笑顔でインタビューを締めくくった。
(了)
本稿は、社会福祉法人サン・ビジョン サンサンワイナリーのファクトリーマネージャー、田村彰吾氏へのインタビュー(2025年8月6日)をもとに、新居直明が書き下ろしました。本稿へのお力添えをいただきありがとうございます。
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