
「ふと思うことは、なんでこんな苦労をしているんだろう。近代的な銭湯の設備だと、ボタン一つで済むのに。薪だと、煤は出るし、灰も出るし、真っ黒になるし。今となっては、すべて自分自身だったな、と思います」
本稿は、2024年5月に収録しました。桑の湯は、2024年12月30日、銭湯経営代行業のニコニコ温泉(本社・静岡県伊東市)が屋号を引き継ぎ、装いを新たに再出発しています。
信州塩尻 桑の湯
大門一番町に銭湯・桑の湯がある。昭和4年(1929年)の創業以来、95年間変わらずに薪で風呂を焚き、塩尻の人々を温めてきた。
昭和レトロブーム以前から、木造の建物とタイル貼りの浴槽、スタッフの人柄に和むファンが少なくなかったが、時代の流れの中で、令和6年(2024年)6月末にその歴史に幕を閉じる。
桑の湯・四代目、桑澤弘幸さん。ご多忙にもかかわらず「桑の湯を知って記憶に残してほしい」との思いから、銭湯の現場を案内していただきお話を伺った。

桑の湯は、桑澤家の「桑」から命名された。祖業は製材屋であった。昭和に塩尻が発展し賑わう中で、木材を活かして町の人々に役立つように、と公衆浴場を開いた。薪からの火力は空気を熱し、煙突へと抜ける前に鉄製のボイラーを二重に通り、湯を沸かす。水温計、水量計もあり、当時は最先端の設備であった。
昭和40年代、桑澤さんの子供時代の記憶でも、塩尻の町はとても栄えていた。
「商店街にはアーケードがあり、真っ直ぐに歩けないぐらい人が多かった。人々は八百屋、肉屋とまわって買い物をしていました。おもちゃ屋も映画館もあるし、パチンコ店も三つ四つありました」
「通りのバス停には大勢の人が並んでいました。ある商店のご主人は、バス待ちの行列に塞がれてお客さんが店に入れないので、バス停を引きずって動かした、という話もあります」
桑澤さんにとっての思い出は、
「物心がついた頃の記憶は、ばあちゃんじいちゃんが釜を焚いているところを邪魔して叱られていたこと。釜から風呂から煤(すす)から、桑の湯は思い出と言うよりも、自分の全てです」

昭和後半には製材業が難しくなり、桑澤木材をたたんだ。そのころの新しい銭湯の設備では、ガスや重油が燃料として普及してきていた。
「桑の湯では釜の設備変更もできず、製材業も閉めて燃料をどうしようか、となった。ところが、建築工務店では柱や梁など廃材の扱いに困り始めて、その木材をいただいて使うようになりました。廃材処理の業者に引き取ってもらうと費用がかかるのだけど、桑の湯は無料なので持ち込みやすいのです」
「燃料にする薪は、ボイラー燃焼室に合うサイズに、わたしがカットしています。釜の向かいの壁側が薪置き場。毎日、幅で60センチ、高さで2メートルぐらいに積んだ薪が必要になります。日暮れまでに、薪を整えておかないといけません」
桑の湯の裏手、道路から扉を入ると釜場かまばの手前は、受け入れた薪の整理場所になっている。
「以前は大門八番町に、薪の製材小屋がありました。そこで父から引き継いで三十年以上、木をカットして薪を整えてきたのです。その小屋を閉じて引き払うときは、ほんとうに胸をつかまれるような思いでした。木を切るときに使う台だけは、小屋から持ってきて、今も使っています」

「焚き方は、その日の気温とお客様の入り具合にあわせて変えていきます。一番大変なのは、薪の火からの強い熱で、腕がこのように火傷やけどになってしまうこと。特に夏の暑いときのTシャツは辛いです」
「ふと思うことは、なんでこんな苦労をしているんだろう。近代的な銭湯の設備だと、ボタン一つで済むのに。薪だと、煤は出るし、灰も出るし、真っ黒になるし。今となっては、すべて自分自身だったな、と思います」
その一方、最近では都会の銭湯でも、燃料をガスや重油の化石燃料から、薪に戻しているところがあるという。
「東京の銭湯の人から、うちを見に来たいと連絡してくることもあります」
桑澤さんは、薪で焚く銭湯の現場、公衆浴場おふろの文化について、多くの人に知ってもらえるように努めてきた。

「お子さんが小さい時は、母親が男の子を連れて一緒にということもありましたが、桑の湯では、小学生になったら男の子は男湯、女の子は女湯に、としてきました。県でも条例改正案をまとめています。しかし、そうすると親御さんが一緒に入り方を教えられずに、困るご家庭もあります」
「そこで、小学生がひとりでも公衆浴場で入浴できるように、マナーを学んで練習しよう、と楽しいお風呂教室をしました。人気があって、子供たちの笑顔が嬉しかったです」
「建物も、昭和レトロブームというよりも、昭和のまんまで、修繕しているけどもボロボロですが、子供たちにはそれが珍しいらしくて。見学して昔のモノをみつけて喜んだり」
桑の湯は、令和6年6月末で95年の歴史に幕を閉じますが、代々変わらずに銭湯を通じて人々を温めてきた桑澤さん、桑澤家の皆さん、スタッフの皆さんの気持ちは、塩尻の街、わたしたちの心に残っていきます。
2024年5月 新居直明
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